免疫の「寛容」と人間社会

五木寛之 戦後ドイツの産業復興のためにトルコ人労働者をたくさん入れました。フォルクスワーゲンなどの企業もたくさんの外国人労働者を受け入れました。ドイツが経済的に復興してくると、今度は失業者が増える。すると「外国人労働者は国に帰れ」という運動が出てきました。
 そのときネオナチなどの人たちが「免疫を見ろ、人間の身体でさえも非自己を排除しているじゃないか。われわれが異民族労働者を排除するのは免疫の理論に従っている」ということを言い出したのですが、それは間違っているのです。免疫には「寛容」というものがあって、非自己と共存するということもあるということを知らない、古い免疫の考え方でそういうことを言っているわけです。
 そこに「寛容(トレランス)」という感覚を入れていけば、免疫という考え方は、科学だけでなくて国際外交、政治経済などすべての事柄に、「寛容」という大きなキーワードによって新しい光を当てることになるわけです。

― これからの時代を生きていくのは非常に難しいことだと思いますが、そのためのヒントが「寛容」にある。

五木 「寛容」という言葉が最大の武器だと思いますね。

― どういうことですか?

五木 つまり他民族とも共生できる。他民族を、古い免疫の思想で否定せずに、自分の中に許容することができるというのは、たいへん大きなことでしょう。
 政治外交問題で言えば、外国人労働者も入れることができる、そして外国人と共生することもできる。また、キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、ヒンドゥー教徒も、場合によっては共生することができる。全部相争うものであるという原理主義的な意識を超えるものが「トレランス(寛容)」の中にある。
 「トレランス(寛容)」の光が差してくれば、また違った世界が生まれるのではないかということを、多田さんは未来への希望として語ろうとしたのではないか。ですから多田さんの言う希望とは、「トレランス(寛容)」ということだったと思います。(p.22、l.8-p.24、l.10)