超(スーパー)システムとしての人間と、それが作り出した文化現象

 超(スーパー)システムは、直接の目的を持たないシステムとして発達してきた。システム自体が自己目的化しているシステム。超(スーパー)システムは、超(スーパー)システム自身の内部的な目的で、新たな要素を追加し、複雑化させながら進化してきた。
 現存する超(スーパー)システムの最右翼にいるのが脳神経であろう。脳神経系は、意識の上での「自己」を持つ最も複雑な超(スーパー)システムである。基本的な構造は遺伝的に決定されているが、脳の「自己」の多くの部分は後成的、外界の情報や、自分の身体の特徴を認識することによって生成してきたものである。その脳の発達には目的があっただろうか。むしろ、脳は脳自身のために進化してきたと考えるのが妥当ではないか。
 免疫もまた、伝染病から体を守り、「非自己」の侵入を排除して「自己」の全体性を決定する。しかし、免疫が病から身を守るために発達したとのみ考えるのは皮相であろう。免疫系がこのように進化したのは、免疫系が自己目的的に発達し、それが伝染病などによって選択を受けた結果に過ぎない。
 超(スーパー)システムのこうした属性は、多様な細胞や器官の上に統合されている脊椎動物などの生命を考える上でまず重要だが、一方では、言語や、都市、経済活動、国家、民族などの属性でもあることに気づく。実際、人間の文化活動自体を超(スーパー)システムのと考えることもできるように思われる。
 では、こうした人間の作りだした文化現象は生命を持っているのだろうか。
 私は敢えて持っていると言いたい。言語も都市も国家も、高次の生命活動であると私は思う。これからの章で、私は現代の生命科学で発見されたさまざまな現象を眺めながら、超(スーパー)システムのとしての人間と、それが作り出した文化現象について考えてみたいと思う。(p.35、l.12-p.36、l.13)