渇きは水が存在することの最も確かな証拠である

フランクル : 

 あなたが意味を探求し、人生の意味を問うことはけっして病気によるものではありません。それはむしろ若者の特権なのです。実のところ若い人は、けっして自分の人生の意味を当然のことと考えず、それにあえて挑戦するものです。

私が主張したいのは、あなたはご自分の絶望のために、絶望する必要はないということです。この絶望を私が「意味への意志」と呼んでいるものが存在する証拠として受け取るべきなのです。

そしてある意味では、意味へのあなたの意志というまさにその事実が、あなたの意味への確信の証拠となるのです。すなわちオーストリアの有名な小説家フランツ・ウェルフェルがかつて述べたように、「渇きは水が存在することの最も確かな証拠である」のです。もし世界に水が存在しなければ、人はどうして渇きを経験しうるだろうかということを彼は表現したかったのです。

さらにブレーズ・パスカルの次の言葉を忘れないでください。"Le coeur a ses raisons que la raizon ne connaît point."[心は理性の知らない道理を持っている]という意味です。あなたの心は最初から究極的な存在理由(レーゾン・デートル)を信じてきたと、言うべきでしょう。

心の賢明さは、ときどきわれわれの知能の洞察以上に深くなることがあります。また時折もっとも合理的なことは、あまりにも合理的になろうとしすぎないことなのです。
(p.148、l.9-p.149、l.6)