即身成仏、現世において肉身(生身)のままで仏(菩薩)のように生きる

 即身成仏思想は真言密教の根本教理の一つです。「即身成仏」とは、人間が本来もっている清浄な「仏性(ぶっしょう)」に気づくことです。真言密教では、成仏することは人々の救いのために大日如来になるということです。即身成仏の意味は現世において肉身(生身)のままで仏(菩薩)のように生きるということです。

 空海の生きていた時代には、三劫という長い年月をかけて輪廻を繰り返して成仏に至ると考えられていましたが、空海は自身の神秘主義的な経験を経て、生きてる間に仏に成ることもできるのではないかと考えるようになったに違いありません。つまり、生きている間に解脱を得て、他人の救済のために生きることができるのは即身成仏の思想の基本であるからです。

 他人の救いを願う「菩薩(梵:bodhisattva)」は大乗仏教の理想の人間像です。しかし、一般の修行者も菩薩とみなされます。つまり、菩薩という言葉の意味、すなわち成仏するために悟りを求める人々と、悟りをそなえた人々との意味があります。(中略)
 菩薩の二面の共通点は修行で得た功徳を「廻向(えこう)(梵:parinama)」することです。前者は救いのための「往生廻向(おうじょうえこう)」(仏になること)と、後者は相手の救いのための「還相廻向(げんそうえこう)」(菩薩になること)をおこないます。両者の廻向は基本的に不二です。つまり、菩薩は自分の成仏のために修行しながら他人の救済活動を行うものとされます。そして、菩薩の徳は慈悲と自己犠牲です。そこで、菩薩は涅槃の功徳さえ皆に廻向します(不住涅槃、無処所)。
 その二面性は菩薩が用いる方法にも反映します。衆生済度に専念する菩薩は衆生を教化するために「方便(梵:upaya)」を用います(下化衆生;げけしゅじょう、菩薩になること)。そして、大乗仏教の修行者は解脱を得るためにその方便に従います(上求菩提;じょうぐぼだい、仏になること)。この方便思想においても不二思想があります。行者が実行する方便は、人を救うために使える方便であることも多いです。たとえば、アルコール依存症を乗り越えた人は、自分の体験した方法で同病に苦しむ他者も救いたいと望むようになります。
 手段は何でもよいです。人を救うための手段として法則はなく時には嘘も必要で有効です。「嘘も方便」という表現はそれに基づいています。したがって、方便とは、衆生を教え導く巧みな手段です。その方法は、仏の説法の基本です。僧侶も相手のレベルに合わせて法を説くべきです(対機説法)。たとえば、子どものためには、子どものレベルに合わせて話すことが必要です。人を見て法を説くのが方便です。

 大乗仏教では「成仏」と「方便」という思想の他に「如来蔵」(一切衆生に内在する仏となりうる可能性)という考え方も生まれてきました。人は皆すでに救われており、仏の心(仏心、如来蔵、仏性)をもっていますが、人はそれをまだ悟っていないという考え方です。空海は如来蔵思想を重視し、成仏に至る手段を、「三密行」と定め、皆が仏の心を肉身のままで体験し、開顕できると考えました(即身成仏思想)。

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