わたしたちの真の姿

 2001年9月11日、4機の飛行機がハイジャックされ、2機がニューヨーク世界貿易センターの二つのビルに突っ込み、1機が国防省に、あと1機が墜落しました。救助に入った消防士、警察官も多数亡くなりました。わたしの友人のひとりは、ツインタワー南棟に勤めていて、目前で北棟に飛行機が激突するのを目撃したあと、両方の靴と、眼鏡と、携帯電話を落としながら逃げましたが、しばらく社会復帰が難しい心の状態になりました。彼は、オフィスの窓際で、北棟を目前に眺めながら、その北棟に勤める友人と、電話で話していたのです。その電話の最中に、その友人のオフィスに飛行機が激突しました。事件後も、空気中に散った塵の中には化学的毒素、水銀などが含まれ、多くの人々がそのために死亡、発病しています。
 ニューヨークでは、誰もがこの事件に巻き込まれたと感じているのではないでしょうか。重くぎざぎざした波動が、マンハッタン島を包み込んでしまったようでした。同時に、多くの心がはっと目覚めました。まどろんでいた心が、いっせいに目覚め、突如、ニューヨークは新しい時代を迎えた、と言っても過言ではありませんでした。大きな衝撃というものは、つねにこのような二極をもっているようです。
 事件5日後の深夜、わたしはビル崩壊の現場を訪ねるという機会を得ました。マンハッタンのダウンタウン全域を覆いつくしていた塵は、ほとんど姿を消していましたが、南へ下ると、きつい化学製品の臭いが立ち込めていて、ときどき息苦しくなりました。現場に行き着くまでに、いくつもの検問所を通ります。そのつど、身分証明書を見せます。ボランティア団体やブースや、動物専門の救急所を通っていきます。動物も、もうずいぶん死んでいました。ツインタワー近くのトライベッカに住んでいる友人のチワワは、散歩中に”被爆して”2日後に死にました。塵に含まれる水銀などの毒素に、小さな生命は、ひとたまりもないのです。
 その毒素の中心、ビルの残骸でできた原野は、形をなくした建物に囲まれていました。
 まるで巨大な映画撮影セットのように、いくつもの光度の高いライトに、煌々と照らされていました。残骸は、きらきら、またはぬめぬめと光っています。ところどころ、地の底から煙が立ち昇っている箇所があり、ライトが、その細い煙が周囲に残ったビルより高く伸びていく様子を映し出していました。
 生存者を探し出す作業が行われていました。
 人を乗せたクレーンをゆっくりと動かし、下ろしていって、残骸の隙間から地下深くにレーダーを垂らす。生きている人がそこにいれば、レーダーに反応がでる。出なければ、ゆっくりクレーンを上げていき、位置を少しずらし、またゆっくり下ろしていき、レーダーを垂らす。その繰り返しです。非常にまどろっこしい、のろのろとした作業です。
 生きている人は、ひとりも、いない。
 その現場に立った瞬間に、わかりました。
 五感から来るものではない、疑いようのない確信というものがあります。直観や第六感という以上に、わたしにはわかる、わたしは知っている、というゆるぎない感覚です。そのときに生存者はいないとわかったのも、そのような感覚でした。
 理由も、はっきりしていました。
 その原野が”あまりにも平和なエネルギーに満たされていた”からです。
 世界中のあちこちにある、強く神聖なエネルギーの場所のいくつかを訪ねたことがありますが、このトライベッカに出現した原野に比する密度のエネルギーを感じた経験は、今のところ思い出せません。
 その原野を包み込んでいるエネルギーは、文字どおり、この世のものとは思えないほど澄みわたり、強く、気高く、優美でした。そして、事実、それは、この世のものではなかったのです。
 ああ、人は、肉体から抜けると、これほどまでの平和な、自由な、魂に戻るのか、と、思いました。死者は、このうえなくやさしく、やわらかく、伸び伸びしたエネルギーそのものになって、わたしたち地上で生きる者を、包み込んでくれているようでした。
 原野の中心で、苦悩のエネルギーは感じられませんでした。だからまだ生きて苦しんでいる者はここには皆無だとわかったのです(実際には、生き残った猫が1匹いました。3日目に雨が降り、残骸の山の底に水たまりができたため、その水で生き延びたと聞きました)。
 身体から離れた魂は、これほどまっすぐに、純粋な原形へと、平和というエネルギーへと舞い戻っていくのかと、これがわたしたちの真の姿なのかと、今でも振り返るたび手を合わせずにいられません。そしてこの思いは、わたしの宇宙観、死生観を支えてくれるいちばんの柱になっています。
 死者(地上から見れば)の生前の姿や思い、死にざまなどを、残されたわたしたちはあれこれと考えます。無念さ、恐怖、激痛、悲嘆、怨念、それらの片鱗を探します。
 けれども、死者たちは、例外なく、死にざまや、生前のあれこれにまったく影響されず、完璧な穏やかさに、いっさいの中に、戻っていくのに違いないと、わたしは知らされたと思っています。
 マンハッタンの貿易センターから世界中に波紋が及んだ驚きと苦悩、苦痛の、苦悶の、その中心には、圧倒的な平和があったのです。
 死者は、わたしたちの慰めを必要としていません。死者は、わたしたちを励まし、快復を助けてくれています。快復を信じて、穏やかに待っていてくれています。死者は、わたしたちの呼びかけを待っています。わたしたちの心が、やがて愛に還っていくことを信頼して見守っています。だから、わたしたちは、死者の愛に応えなければならないのではないでしょうか。それが、快復の力の源だからです。
 そして、その後、さらにわたしが驚かされたのは、実際、わたしの周囲の大勢の人たちが、快復の力を得て、再生しているということでした。
 家族をはじめ、身近な人を亡くした人、トラウマに苛まれる人、ビジネスを失った人、たくさんの物語、多くの慟哭がありました。その誰もが、見事に、癒しの道に戻ってきて、その道をしっかり歩きはじめたのです。
 わたしたちは、苦しみに直面し、そこから快復するときに、パワフルな、勢いある力を、際限なく発揮するようです。
 それは実のところ、最初から見えていました。身近な方をなくされた方々は、身体から生命力の最後の一滴まで絞りとられてしまったような表情をなさっていましたが、それでも、その方々の心を、亡くなった方の愛がやさしく包み込んでいて、気づいてもらうのを待っているというふうだったのです。
 コンクリートで固められたグラウンド・ゼロを訪ねた人たちは、悲惨さ、無惨さを口にしますが、私自身は、5日目の原野の印象と同様、やはり絶対的な平和をいつも感じていました。喉が締めつけられるような重いエネルギーは、死者からではなく、訪れる人たちから、残された者たちから発せられているものだと受け取りました。
 死者は平和そのものとなる。残された者は快復の力を与えられる。
 これは、楽観主義のものの見方ではなく、わたし自身が経験した事実であり、快復期にある者としての責任の問題だと思っています。
 人は、死んで、世界から消えていくのではありません。
 彼らは、地上に残された者の力の源であると同時に、生命とは、かくも平和なものなのだということを教えてくれる存在だと、わたしは教えてもらったと受け止めています。
 立て続けに悲しい事件が起こるとき、災害が次から次へと押し寄せてくるとき、それが天災にせよ人災にせよ、そのためにわたしたちの心が弱まるのではなく、心が弱まっているわたしたち、力の源から遠ざかっている社会に、快復の機会を与えてくれ、力を取り戻す手助けをしてくれるために、それらが起こるのです。
 懺悔しなければならないのは、他でもない、この自分であるということを思い出す勇気をもちたいものです。死者に感謝し敬意を払うことによって、そして、残った者たちがいたわり合い、支え合うことによって。
 「9.11が人生を変えた」というニューヨーカーが大勢います。あの日以降、”一筋縄ではいかないことにかけては世界一”と皮肉を言われるニューヨーカーが、ただひたすら、誰彼の心を受け止め、共に感じるために、心を開いたのです。
 それほどまでの”問題”が起こらなければ、オープンに人を受け入れ、癒しの道にとどまるということをしなかったことを、わたしたちひとりひとりが認めなくてはならないと思っています。平和な日のはじまり、寝室の窓にやさしく朝陽が射しかかり、緑の茂りが光を照り返して輝くのを見ながら、ああこうして死者たちは、その反省を思い出させてくれているのだなと感じます。

 (p.22 l.10-p.30 l.7)