成功と幸福は必ず生じなければならないし、それらへの関心は少なくなればなるほど、一層実現しうる

一般に快楽は、決して人間の努力の目標とはならず、むしろ結果としてとどまるべきものであって、より具体的には目標達成の副作用というべきものでなくてはなりません。目標に達成することは幸福な状態の理由を構成します。換言すれば、もし幸福のための理由が存在するならば、幸福は、自動的にしかも自然に、あるがままに、結果として起ってくるのです。そして以上のことは、人が幸福を追求する必要はない理由となって、人は幸福の理由がいったん得られれば、幸福を気にする必要はないのです。
 しかし、さらに、人は幸福を追求することはできません。人は幸福を自らの動機の対象とする限りにおいて、幸福を自らの関心の対象と必然的にしてしまいます。しかし、はっきり言って、そのようにすることで、幸福の理由を見失ってしまい、幸福そのものは消え去ってゆくことになるにちがいありません。(p.62、l.5-14)

成功と幸福は必ず生じなければならないし、それらへの関心は少なくなればなるほど、成功と幸福は一層実現しうるのです。(p.64、l.4-5)