人は(中略)快楽や幸福を欲するのではなく、個人的な意味の充足や、とある人間との出会いといった、むしろ快楽や幸福を結果として引き起こすものを欲するのです。神との出会いについても当てはまります。このことからLSD(統合失調のような症状を起こす幻覚剤)又はその他の中毒の類いによりもたらされる至高経験の形式に関していかに私たちが懐疑的であるべきかがわかります。もし科学的原因が精神的理由の代用となるにしても、その効果は単なる人工的なものにすぎません。その近道は、袋小路に入り終わりになります。
健康と良心の問題も、追及することは不可能で、むしろ結果として生じてくる現象の類型に属しています。もし私たちが良心のために努力するならば、良心を有することの正当性を失ってしまうことでしょう。その事実はまさに私たちをパリサイ人(偽善者)へと為してしまうことでしょう。また私たちが健康を主な関心事とするならば、病気になってしまいます。私たちは心気症患者(健康を気にしすぎる人)になってしまうのです。(p.71、l.10-p.72、l.5)