怨親平等、敵を愛しなさい

 イエス・キリストは「敵を愛しなさい」、と命じました。なぜかというと、神の愛の立場から見ると、善人と悪人の区別はないからです。善人にも悪人にも同じように雨を降らせるように、神はすべての人を平等に愛していると聖書には書かれています。

 あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(マタイ 5:45-48)

 仏教では「怨親平等」(敵と友の平等さ)という言葉で同様の概念が言い表されています。禅寺で毎日唱える『菩薩願行門』の中では、敵は私たちの悪行を清めてくれる菩薩であるとの解釈に基づき、私たちは敵に慈悲を示すべきだと言っています。一方、イエスは十字架上にあって自分を殺そうとする人々のために次のように祈りました。

 父よ、彼らをゆるしてください。自分が何をしているのか知らないのです。(ルカ 23:34)

 無明(無知)は自分の苦しみの原因であると同時に他人の苦しみの原因です。自分の無明を自覚してくると(智慧)、慈悲を示して相手をゆるすことができやすくなります。敵をゆるす力は相手の無明を意識することで憐びんと慈悲が生じることに基づいています。また、自分が犯した罪を思い出せば、他人の罪もゆるしやすくなります。

(p.130、l.9-24)